藝術の秋、その2~詩作


既にお気づきの方もおいでかとは存じますが、左側のリンク欄に
新しいお友達のページへのリンクを追加いたしました。

「聖へタレ主婦日記」、これはkasugaさん。
「夢見るころを過ぎても」、こちらはあんっこさんです。
お二方ともゆみさんのお友達で、縁あって相互リンクに至りました。
皆様、ちょちょっとクリックしてくださいまし。
リンク欄はお付き合いの長い方ほど上に置かれていますので、
ズズーッとスクロールしてくださいますように。

※さらに本日(11月3日)、lebambouさんの
「楽しく暮らす、美味しく食べる」を追加しました。※

lebambouさんとは、娘のご縁でのお付き合いです。

さて、今回は自作の詩をご披露いたしましょう。
え~、また~!とか言わないでくださいね。


<続きはこちらから>
2006 / 11 / 02 ( Thu ) 20:00:00 | 詩・短歌・俳句 | TrackBack(0) | Comment(5) | トップ↑
夢の舟


<病院裏の一升壜に秋の雨 牧ひでを>
モノクロのスナップ写真のような俳句ですね。
あたしの住む東京にも、いかにも!という秋雨が降り注いでいます。

秋がそうさせるのか、雨がそうさせるのか、
何となく詩歌を鑑賞して過ごしています。
「脳トレ」も「えいご漬け」も休んで、
好きな詩を何度も読んでみたり、あるいは
好きな俳人の句集を読んでみたり…。

こういうことを書くと、「自分にはそんな趣味はないから」と
あからさまに敬遠してしまう方もおいでになります。
まことにもったいない話で、無粋とかそういうことではなく、
自分で自分を型に嵌めてしまうってことは
自らが自分の可能性を否定することにつながります。
ま、そんな方はあたしのHPやブログにはおいでにならないでしょうけれど。

今日は、恥ずかしながら、自作の詩を披露しようと思います。






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2006 / 10 / 05 ( Thu ) 19:02:54 | 詩・短歌・俳句 | TrackBack(0) | Comment(9) | トップ↑
曼殊沙華。


ただ「彼岸」とだけ言った場合、俳句の世界では春の季語だそうだ。
今時期、秋の彼岸を季語にしたい場合には、「秋彼岸」などと
字数を費やさなければならず、俳人を苦労させるようだ。
17文字の中の2文字は、大きいと言わざるを得ない。
同じ5文字でも「彼岸花」と言えば、これは無論のこと秋の季語だ。
彼岸花、またの名を曼殊沙華である。
名前からして仏教色の濃いこの花はそのいわれもまた同様であるが、
今回は花自体が主題ではなく、曼殊沙華の俳句、である。

つきぬけて 天井の紺 曼殊沙華    山口誓子

秋の鮮やかな空を背景に彼岸花がそびえる様子は、あたかも
ブルーのキャンバスに彼岸花色の絵の具を叩きつけたかのような
迫力を湛えていると、あたしはこの季節になるといつもそう思うのだ。
あの妖気さえ漂う花の姿、毒をも有するというその内面、
ただそっと鑑賞していればいいという気に、あたしはなれない。
俳句の主題になるだけの強さは、生得のものででもあるのだろうか。

西国の畦 曼殊沙華 曼殊沙華     森 澄雄

西国の畦は作者ゆかりの姫路の畦道のことだそうだが、待てしばし。
西国を西方浄土と解釈すれば、そこへ続くはるか遠い細道が
夥しい数の曼殊沙華で埋め尽くされていたとしても何の不思議もない。
作者が彼方の死後の世界に思いを馳せていたとするならば、
この句はいかにも曼殊沙華に相応しい仏教色を持つことになる。
♪ さいごくのあぜ まんじゅしゃげ まんじゅしゃげ ♪
声に出してみると分かるのだが、17音の中に全く無駄がない。
そしてまた、心地よいほどの素晴らしいリズムが生まれている。

上記の二句はいずれも「曼殊沙華」だからこそ成り立つので、
これが「彼岸花」では、音律の面で俳句として不成立だ。

墓参りにも行かなかった秋の彼岸の中日だが、こうして
俳句のことどもを思う時間はなかなか素敵である。

陽に融けて 我をな焼きそ 曼殊沙華       新三







2005 / 09 / 23 ( Fri ) 16:41:45 | 詩・短歌・俳句 | TrackBack(0) | Comment(8) | トップ↑
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