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おはぎ。


おはぎ

家族で、おはぎを作った。
彼岸というのは、そもそもどういうことなのか。
同じ物を作っても春は牡丹餅で秋はおはぎ、それはどうしてなのか。
あるいは、どうすれば美味しいおはぎができるのか。
そして、本当は彼岸の入りに作る約束のものだということ。
そんなことを井戸端会議よろしく喋りながらの作業だった。

別に、子供たちに宗教家になってもらいたいわけではない。
料理研究家になってもらいたいわけでもない。
ただ、季節季節の行事とその意味合い、あるいは
それにまつわるこまごまとした手続きのようなものを
知っておいて欲しいと思ったのだ。
多くは求めない。おはぎ作りを経験したという、それだけでいい。
嫌がりもせず、いやむしろ楽しんで作業してくれたのは、
こちらにとってはありがたいことだった。

わざわざどこかへ奉仕のためにでかけたりしなくても、
こういう何気ない日常の中に、共同作業への無償の貢献という
社会的な必須項目が含まれていると思う。
今回のおはぎは、ひとしお味わい深かった。



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2005 / 09 / 26 ( Mon ) 07:44:00 | ガキンチョ日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
大片付け。


今日は雨の到来が思いのほか早く、自分の予定が狂った。
ウチにいて何もしないのももったいないような気がして、
才と二人でおもちゃ箱やら何やらの片づけをした。
遊がいると捗るものも捗らないので、遊が近くの児童館へ
遊びに行ったスキに、才と二人で取り組んでみたのだ。

片付けの要諦は、すなわち、捨てることだろう。
何年も触っていないようなものでさえも後生大事に取っておくから、
畢竟どうでもいいものが増える一方なのだ。
あたし自身はガンガン捨てたいタイプなのだが、子供というのはそうではない。
邪魔にならないのなら、取っておきたいと思うようである。

才の様子を見ているのは、ことのほか興味深かった。
どうでもいいものに関しては、ためらわずにゴミ袋に投げ込む。
だが、ものを手にしてふっと考え込んでいるときがある。
いつ、どこで、誰に買ってもらったか、覚えてでもいるのだろうか。
あるいは何がしかの思い出が浮かんでくるのでもあろうか。
しばらくの間その品物を見つめたりしているのである。
「これは取っておこう。」と言う時は、いいのだ。
だが、しばらくためつすがめつした後で、捨てるものがある。
そういうときの才は、過去の思い出に訣別するかのような、
やや厳しい表情でアイテムをゴミ袋に投入するのだ。
もう少し大きくなれば、思い出そのものを捨てることもあるだろう。
形となって目に見えるものも、形のないものも、捨てるべきときには
一切の後悔を断ち切って捨てなければならないのが人の世だ。

たっぷり3時間にも及んだ「大片付け」で、才は何を感じたのだろう。
片付けの後で二人で風呂に入ったのだが、そこには触れなかった。
あたしの価値観を押し付けたくはなかったからだ。
才が自分で何かを感じてくれるのであれば、それで十分だ。


2005 / 09 / 24 ( Sat ) 18:36:13 | ガキンチョ日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
曼殊沙華。


ただ「彼岸」とだけ言った場合、俳句の世界では春の季語だそうだ。
今時期、秋の彼岸を季語にしたい場合には、「秋彼岸」などと
字数を費やさなければならず、俳人を苦労させるようだ。
17文字の中の2文字は、大きいと言わざるを得ない。
同じ5文字でも「彼岸花」と言えば、これは無論のこと秋の季語だ。
彼岸花、またの名を曼殊沙華である。
名前からして仏教色の濃いこの花はそのいわれもまた同様であるが、
今回は花自体が主題ではなく、曼殊沙華の俳句、である。

つきぬけて 天井の紺 曼殊沙華    山口誓子

秋の鮮やかな空を背景に彼岸花がそびえる様子は、あたかも
ブルーのキャンバスに彼岸花色の絵の具を叩きつけたかのような
迫力を湛えていると、あたしはこの季節になるといつもそう思うのだ。
あの妖気さえ漂う花の姿、毒をも有するというその内面、
ただそっと鑑賞していればいいという気に、あたしはなれない。
俳句の主題になるだけの強さは、生得のものででもあるのだろうか。

西国の畦 曼殊沙華 曼殊沙華     森 澄雄

西国の畦は作者ゆかりの姫路の畦道のことだそうだが、待てしばし。
西国を西方浄土と解釈すれば、そこへ続くはるか遠い細道が
夥しい数の曼殊沙華で埋め尽くされていたとしても何の不思議もない。
作者が彼方の死後の世界に思いを馳せていたとするならば、
この句はいかにも曼殊沙華に相応しい仏教色を持つことになる。
♪ さいごくのあぜ まんじゅしゃげ まんじゅしゃげ ♪
声に出してみると分かるのだが、17音の中に全く無駄がない。
そしてまた、心地よいほどの素晴らしいリズムが生まれている。

上記の二句はいずれも「曼殊沙華」だからこそ成り立つので、
これが「彼岸花」では、音律の面で俳句として不成立だ。

墓参りにも行かなかった秋の彼岸の中日だが、こうして
俳句のことどもを思う時間はなかなか素敵である。

陽に融けて 我をな焼きそ 曼殊沙華       新三







2005 / 09 / 23 ( Fri ) 16:41:45 | 詩・短歌・俳句 | TrackBack(0) | Comment(8) | トップ↑
イクラ。


この季節になると、新物のイクラが出回り始める。
あたしは寿司屋などでは絶対にイクラを食べない。
理由は至って簡単で、旨くないからである。
特にあの塩漬けされたオレンジ色のイクラはご免だ。
半ちくな寿司屋のイクラは、もれなくオレンジ色だ。

さてそんなあたしが唯一イクラを食べるのがこの時期、
新物の生筋子を自分でほぐして自分で漬けたイクラだ。
粒の皮がまだまだ柔らかく、味もスッキリしている。
魚卵というのは、無事に育てば一粒一粒が成体になるわけで、
言ってみれば生命力の塊とでもいうことになるだろうか。
旨くて当然という食べ物なのだ。
それでも、美味しく食べるにはそれなりに手間も注意も必要で、
それを惜しんでは自分の食べたい物にありつけないのだ。
イクラ

新物のイクラは、築地で買っても1kあたり3000円ちょっとはする。
決して安いものではないのだが、季節を味わうために、
毎年恒例の行事としてイクラ醤油漬けを作るあたしだ。
カミさんと子供たちは、座っていればイクラが食えるとあって大喜び。
作った割りには、あたしの口に入る分は案外少ないのだ。

今回は趣向として、同じ写真でカミさんもブログをUPしているはずだ。
あたしはまだ確認していないので、この記事をUPしたら
ヤツのブログがどんなことになっているか、覗いてみようと思っている。

2005 / 09 / 21 ( Wed ) 22:36:28 | 美味しいもの | TrackBack(0) | Comment(7) | トップ↑
将棋とプール。


昼間、NHKテレビの将棋を見ていたら、遊が「父ちゃん、将棋やろうよ。」という。
「真剣に教わる気のないヤツとはやりたくない。」と、一度は突っぱねたが
「ちゃんとやるからさ。」ということで対局となった。
辛うじて駒の動かし方が分かる程度の遊だから、しょせんは
あたしの相手にはなりえない。二番指して、遊が音を上げた。

夕方、遊と二人でプールに行った。
長男の中学校に室内温水プールがあって、地域住民に開放されている。
区の施設であるから大人360円という低料金で2時間泳げる。
遊のたっての願いで出かけたのだが、どうもヤツは集中に欠ける。
ちょっと泳ぎの練習をすると、その次の瞬間にはもう遊びたくなる。

将棋もプールも同じなのだが、「真剣に学ぼう」という気概はない。
塾の先生をしていたあたしとしては、教えて欲しいなら
それなりの心構えを態度で示せ、と思うのだ。
だが、遊は「教えて欲しい」とまでは思わないらしい。
いや、二年生なら、それが普通なのかもしれない。
「父ちゃんと将棋を指すこと」や「父ちゃんとプールに行くこと」が
すでに目的になっているのである。
だからその先にあるはずの、習熟とか上達とかいう件については、
全くヤツの意識の外にあるらしいのだ。
ヤツなりの楽しみがなければ、雨降る中傘をさして、
往復30分の道のりを歩けるものではないのかも知れない。

帰りがけに、「楽しかったか?」と尋ねたら、「うんっ!」と
それはそれは元気な返事が即座に返ってきた。
こちらの思惑とあちらの思惑は、これほどまでに食い違っている。
だが、あのチビが無心に楽しいと思えた時間は貴重すぎる。
思惑のズレは、どうやら大人が我慢すべき領域だという気がした。

また、連れて行ってやるとするか。



2005 / 09 / 11 ( Sun ) 23:30:50 | ガキンチョ日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
時の流れに身を任せ。


先日、地域の図書館へ行ってCDを借りてきた。
テレサテン

「時の流れに身を任せ」というヒット曲を聞きたくなったのだ。

テレサテンという歌手は、とても歌が上手いと再認識した。
音程の確かさ、息継ぎのテクニック、あくまでも静かな歌いっぷり。
どれをとっても超一流の資質を備え持っているようだ。
この曲には「一度の人生、それさえ、捨てることも構わない」とか
「命さえもいらないわ」といった過激な歌詞が出てくる。
カラオケで人が歌うのを聞くと、そういうところを、どうしても
強く歌いたくなるものらしいのであるが、テレサテンは違う。
あくまでもサラッと、カラッと歌っているのだ。
それでいてなお曲中における感情のアップダウンは、
驚くほど繊細に表現されていることにも改めて気づいた。

曲発表当時、彼女は33歳だったということだ。
女としても、歌手としても、絶頂期だったと言えるだろう。
今の日本の歌謡界を見渡してみると、
これほど豊かな表現力を持つ33歳は、残念ながら見当たらない。
若い歌手で人気のある人たちも、人気先行がモロミエ状態だ。
それは、もう5年もしてみれば分かる。
今の流行など、影も形もなくなっているはずだ。

テレサテンが不慮の事故で世を去ってから、10年が経った。
生きていれば52歳のオバサンだ。
あたしは、52歳のテレサテンの歌を聴いてみたいと思うが、
今となってはしょせん叶わぬ夢である。
それでも19年前の大ヒットは、少しも色褪せることなく
聴く者の胸を打ち続けてくれる。


2005 / 09 / 11 ( Sun ) 23:01:42 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(6) | トップ↑
定食、発進。


9月8日

多くは語らないことにします。
この定食に、いくらまでなら払う気になるか、それを
皆様にお尋ねしたいと思っております。

画像をクリックなさってくださいまし。
大きい写真が表示されると思います
左上メインは、生メカジキの照り焼きです。
添えは生のレタス、右下はスダチです。
右上はウチで付けた糠味噌で、キュウリとミョウガ。
その下は煮物の鉢で、厚揚げと大根とニンジンです。
米は秋田小町、味噌汁はカツオの出汁でキャベツと油揚げです。
これに、コーヒーがつきます。

さて、いくらお支払い願えるのでしょうか?
自分ならこれぐらいまではOKという限界を教えてください。
安ければ安いほうがいいという感覚は当然ですので、
そういう方はロム&レスなしで結構です。
今後の店の方針の参考にもしたいので、皆様の
全面的なご協力をお願いいたします。

ついでに、料理の印象などもお聞かせ願えれば幸いです。
勝手を重々承知で、伏してお願い申し上げます。



2005 / 09 / 08 ( Thu ) 22:56:25 | 美味しいもの | TrackBack(0) | Comment(14) | トップ↑
ダラダラした翌日。


昨日(正確には一昨日)は、目一杯ダラダラした。
だから今日(正確には昨日)は、意欲的に働いてみた。
その成果がこれ。素ン晴らしい一皿の完成だ。
ペンネ

カジキマグロを使ったトマトソースのパスタで、
缶詰のツナでも似たようなものはできるが、
比べてしまうとやはりこちらに軍配が上がる。
ニンニクを使ってその香りも漂ってはいるのだが、
隠し味に使うアンチョビが奥深い風味を出してくれる。
ハーブは、バジルとパセリの2種類。
パスタに散らしてあるのは自家製のリコッタチーズ。
ほんのりとした自然の甘さが、トマトソースの酸味と
絶好のコントラストを見せてくれる。
チーズにかかっている緑色の液体は、オリーブオイル。
リグーリア産の風味豊かなオイルで、お気に入りである。
これにバゲットでもあれば、十分すぎるランチになるだろう。

ダラダラするときはダラダラするが、やるときはやる。
ちゃんと働いているところも、ちょっとご披露してみちゃったり。

!!今さら間違い発見 @23:26 9月6日!!
文中の「自家製リコッタチーズ」は
「自家製カッテージチーズ」の間違いです。
訂正します。

2005 / 09 / 06 ( Tue ) 00:51:19 | 美味しいもの | TrackBack(0) | Comment(4) | トップ↑
ダラダラ。


昨晩、妙に酔いが回って早く寝てしまって、夜中に目が覚めた。
たぶん、4時頃だったろうと思う。
それから寝付かれなくなって、悶々とした時間を過ごしてしまった。
どうにかこうにか眠りについたのは、6時ちょっと前だっただろうか。
再び目を覚ましたら、もうすでに9時を過ぎていた。

今日はもう何もしないんだぞ、という意気込みで、ダラダラした。
いつもなら平日にできないことをするとか、競馬をするとか、
あるいは歌舞伎座に行くとか、映画を観にいくとか、なにかしら
行動的・活動的なことをしようとするのである。
それが今日に限っては、ナッシング。
カミさんが自分の用事で出かけてしまったので、男三人でダラダラ。
あたしはPCをいじくったり本を読んだり新聞を読んだり。
ガキ共は、もっぱらゲームをして、時々喧嘩という調子。
朝からパンツ一丁だったあたしがシャツを着たのは、
何と午後の1時半を過ぎてからのことだった。
腹が減ったので料理をするためにやむなくシャツを着たのだった。
カジキマグロの照り焼きに冷たい素麺、ヱビスビールを一缶。
そのあともゴロゴロしてみたりテレテレしてみたりして、今に至る。

これはこれで、充実した休日だ。
そして、ダラダラ過ごす時間も、たまにはいいものだと思った。
さ、今日という日はまだ5時間近く残っている。
さらに有意義にダラダラするとしよう。



2005 / 09 / 04 ( Sun ) 19:14:38 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(4) | トップ↑
サイン。


去年の9月1日に店を始めて、まる一年が経った。
始めてしばらくは忙しない時間が続き、子供たちと接する時間が激減した。
店を始めるに当たって、生活が変化することを子供たちに説明したが、
才はともかく当時1年生の遊にとっては、受け入れがたい部分があったようだ。
「ただいま」と家に帰っても、誰も迎えてはくれない。
それではあまり可愛そうなので、遊の帰宅時間を見計らって
あたしかカミさんが帰ってやるようにしたものだった。

それでも親と一緒に過ごす時間が足りなかったのだろう。
ある日、ふすまを動かしていたら、イタズラ書きを見つけた。
普段は重なっていて見えない部分なのでそれまで気づかなかったが、
そこには平仮名で「ゆう」とだけ書かれていたのだった。
お世辞にも綺麗とは言えないその頼りない文字は、
その時の遊の気持ちがそのまま形になったものだったろう。
「父ちゃん、母ちゃん、遊はここにいるんだよ。」という
言うに言えない訴えを、あえて日頃は見えないふすまに
そっと書いたのに違いないのだ。

あたしもカミさんも、遊に謝った。店のことではない。
遊だって大丈夫なはずと決め付けていた自分たちを詫びたのだ。
そして、接していられる時間の濃度をできるだけUPするようにした。
それから、遊も気が晴れたのか、すっかり落ち着きを取り戻した。
あのまま気づかずにいたらどうなっていたかと思うと、ぞっとする。

情緒不安定になる子は、必ずサインを出すという。
遊のサインは文字通りの「サイン」だったわけだが、
本当はその前にも何か信号を発していたのかも知れない。
子供をよく観察しなければいけないというのは、このことだ。





2005 / 09 / 02 ( Fri ) 19:50:19 | ガキンチョ日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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