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ちょっと気になったこと ⑥


麺類をすするのに、必要以上に多く口に含む人がたくさんいる。
冷たい麺はまだ食べやすいのだが、温かい麺は吸い上げにくいものだ。
湯気でむほむほして、どうかすれば口からブフッと出てしまったり…。

要は、欲張って一度にたくさんつまみ上げるのが悪い。
すすりきれない分は、前歯でパッツリと噛み切ることになる。
オカッパ頭の前髪を作っているのではないのである。
口の中に入る方はいいが、切り落とされた麺はスープに落下。
こうして食べ続けると、スープの中が麺の切れ端で満たされる。
最後にそれを箸でさらわなければならないのは、このパターンだ。

馬鹿か。
学習したらどうなんだ。

レンゲに麺を乗せるのはあまり好きではないのだが、噛み切るよりはいい。
偶然だが、ラーメンをなかなか上手に食べている女性を発見した。
クワバタオハラの、小原正子である。
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2012 / 11 / 25 ( Sun ) 07:48:01 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
ちょっと気になったこと ⑤


普段の家庭における食事を思い浮かべていただきたい。
食事の感想として、「あまい」だの「とける」だのと言うだろうか。
グルメリポーターは、言うのである。
刺身を食っちゃ「あまい」、牛肉を食べちゃ「とける」、
これはもう一つ覚えとしか言い様がないほどの連呼ぶりだ。
はっきり言っておくが、「あまい」魚はないし「とける」肉もない。

ではなぜ刺身が「あまい」と表現されてしまうのか。
それは、「甘味を感じる」という表現を知らないからだ。
肉が「とける」と表現されてしまうのも似たようなもので、
そういう肉は「とけるようだ」という表現が正しいと言える。

海の生物ではイカなどが甘味を持つ代表格かと思うが、
そういう成分があるだけで食品として「あまい」訳ではない。
マグロのトロには脂の甘味があるが、やはり「あまい」ものではない。
肉が「とける」ように感じるのは脂が多い何よりの証拠であって、
本当に「とけて」しまったらそれはもう肉とは言えない代物だ。
軟らかく調理されていることと「とける」こととは違う。

だが、ここまでは許容範囲なのだ。
言葉が既に市民権を獲得してしまっている。
それに対して異議申し立てをしようとは、私は思っていない。
事の本質は別のところにある。

それは、
「あまい」「とける」が褒め言葉になるとは限らないということだ。
料理人は常に素材の持ち味を引き出すことだけに専念しているものだ。
いい料理人であればあるほどそういう傾向が強いことを、私は経験している。
中トロの握りを「あまい」と言われたら、寿司の職人は腹を立てることだろう。
脂の甘味と赤身の酸味のバランスが中トロの持ち味だし、もっと根本的には、
寿司はシャリとネタとのバランスこそが味を決する生命線だからである。

牛肉が「とける」というのも、脂偏重の哀れな顛末なのではないか。
肉は、ギュッと噛んで食べてこそその持ち味を堪能できるものだ。
ムースのような料理が「とける」ならともかく、肉には不適な表現だろう。
考えてもみて欲しい。
アイスクリームを食べて、わざわざ「あまい」と言う人があろうか。
アイスクリームが口中に広がった時に、「とける」と言うだろうか。
「あまい」の「とける」のは、本来そうでないものがそういう感じになる…、
そういった驚きを表現する一種のパラドクスであるに過ぎない。

繰り返すが、使うことに異議を申し立てるのではない。
連発・頻用を極力避けて、自分の言葉で表現してもらいたい。
そのためには、自前の舌に味を叩き込み、経験を積むことだ。
「あまい」「とける」と言えば済むという安易な考えを捨てることだ。
2012 / 11 / 22 ( Thu ) 16:38:19 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
ちょっと気になったこと ④


飲み食いするときに、帽子を被ったままの人がいる。
私の感覚からすると、あれも信じられない
食事はおろか、建物の中に入ったら帽子を脱ぐように教えられたからだ。

最近ではファンションを通り越してアタマの一部になった感もあり、
帽子を被ったままで飲み食いする人を数多く見かけるようになった。
ここまで来ると、「数は力なり」という気がしないでもないし、
漠然と市民権を得たと言えなくもないのかと考えてみることはある。
だがやはり自分の常識の中では、それでいいのだと断ずることはできない。
若い衆と飲食をする際に相手が着帽のままだと、脱ぐように頼む。
「俺と一緒のときは、頼むから帽子を脱いでおくれ。」と申し出るのだ。

食事のマナーではないのだが、挨拶のときに帽子を脱がない者もある。
お辞儀をするのに、帽子を被ったままで頭を下げて平気な顔をしている。

 なんで?

せめて帽子本体かつばに手を添えるぐらいの気遣いは欲しいと思う。
とは言うものの、逆に何がダメなのか聞き返されそうだ。
そういう手合いは、入浴も睡眠も帽子と共にあるのだと推察している。
2012 / 11 / 18 ( Sun ) 16:28:08 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(2) | トップ↑
ちょっと気になったこと ③


器を手に持って食べればいいという話と深く関連するのだが、
箸がそうであるように、器の持ち方というのもあらかた決まっている。
茶碗なら、親指が縁にかかるように持つのが普通の持ち方である。

だが、最近では縁に人差し指がかかっている持ち方を見かける。
はっきり言うが、これには我慢がならぬ。

また、先日たまたま目にした動画では、こんなシーンも見かけた。
それは、定食をお膳に乗せて供する食堂だったのだが、
横長の長方形のお膳の右手前隅にご飯茶碗が置かれていて、
その奥である右向こうの隅に味噌汁のお椀が置かれていたのだ。

ありえない。

食べる側も供する側も、一事が万事この調子である。
情けないやら恥ずかしいやら、私はため息を吐きすぎて窒息しそうだ。

<追記>
凌さんからの疑問にお答えすべく、画像をUP。

まずは通常の器の持ち方。
通常の器の持ち方

そして、「縁に人差し指をかける」の図。
人差し指をかけた持ち方

中身や器が熱いと、人差し指をかける持ち方はしづらい。
ラーメン丼のように重いものも、この持ち方では持てない。
よく見かけるのは、女性がサラダボウルを持つシーンにおいてである。
ちょっと意識すると、案外と多くの実例に接することができると思う。
2012 / 11 / 17 ( Sat ) 11:19:34 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(4) | トップ↑
ちょっと気になったこと ②


私にとっては、箸使いよりもはるかに目につくことがある。
それは、手皿だ。

実際にものを手に乗せて食べるのはもってのほかだが、
右手の箸でつまんだものの下に左手を受ける人の何と多いことか。
グルメリポートなどを見ていると、女性に多いように思う。
だが、男性にも左手愛好家がいないわけではない。
その道のもの好きには大人気なのだが、酒場を放浪するオッサンがいる。
この御仁が、もう左手を添えなくてはツマミを食べられないという状態だ。
もちろん撮影上必要な絵作りはあるだろうと察するが、度を超えている。

例えば刺身を食べる時のことを考えてもらいたい。
右手の箸で刺身をつまんで、それを醤油皿の醤油に浸す。
そして醤油皿から持ち上げた刺身を口に運ぶその動作の間ずっと、
左手が刺身の動きにシンクロして15センチ下を移動していくことになる。

マナーのレクチャーをする気は毛頭ないが、一つだけ素朴な疑問がある。
醤油が左手にたれたら、その左手はどうするのか。
おしぼりでもあればいいが、そうでなければ服で拭うか舐めるかしかない。

刺身の醤油皿だけではないのである。
小鉢に入れられているちょっとした和え物や煮物も同様だ。
左手で器を持てばいいのにそれをせず、箸の下方15センチに左手を添える。
私には全く理解できない世界だ。
ご飯を食べるのに、茶碗を置いたままということがあり得るだろうか。
置いた茶碗から右手で一箸分のご飯を取って、下方15センチに左手…。
文化の崩壊が目に見えるようで、うすら恐ろしくなってくる。
2012 / 11 / 15 ( Thu ) 18:25:46 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
ちょっと気になったこと ①


YouTubeで様々な画像を見ているうちに、気づいたことがある。
忘れないように、備忘録の意味で書き記しておきたい。
今日は、シリーズ第一回目である。

あれこれ見ているうちに、大食いのカテゴリーに踏み込んだ。
それ自体はどうでもいいのだが、気になったのはコメントだ。
曰く、箸使いがひどい。
曰く、食べ方が汚い。
確かにその通りかもしれないが、ちょっと待ってもらいたい。

彼ら彼女らは、フードファイターなんだろ?
闘っているんだろ?

じゃ、ヤツらにとって箸は武器じゃん。

武器の扱い方に、ルールなんてあるんだろうか。
短刀を逆手に持ったり投げたりしたからといって、何が悪いのか。

食べ方が汚いというのは、王道を外しているということだろうか。
勝負に王道なんてものが存在する訳がない。
勝つか負けるか、あるのはそのどちらかだけだ。
まして、金のかかるファイトなら、手段を選ばないだろう。
勝負の第一目的は、とにもかくにも勝つことにある。
賞金を惜しむのなら、ルールを細かく決めればいいことだ。

卑怯な手段は、許されるものではない。
例えばファイトの途中でトイレに行って吐くとか、
強力な消化剤を併用するなどは礼儀に悖るものと思う。
だが、箸使いや食べ方の汚さはどうなんだ。
それは礼を失する行為にあたるのだろうか。
食に対する冒涜だというなら、フードファイト自体が冒涜だろう。

白田やギャル曽根のように、きれいに、美味そうに食う者もある。
見ていてその方が気持ちいいことは間違いない。
だが、だからといって箸使い云々を言うのはどうかと思う。

石塚英彦のように、だらしない箸使いの者もある。
ヤツはフードファイターという訳ではないので、弁護しにくい。
だが、あの食べっぷりとギャグセンスのおかげで、ヤツはヤツなりに
「石塚食い」とでも呼ぶべきジャンルを確立しているように感じる。
ならば、あの箸使いも、一種の芸として許容できるように思うのだ。

きちんと食べられるのであれば、それに越したことはない。
家庭や学校などでは、正しい礼儀作法を教えるべきだと思う。
私も子供たちには箸の使い方を口やかましく言ってきた。
だが、特殊なケースにおいては、それは二の次になり得る。
餓死寸前で眼前に食べ物が出てきたら、どうだろう。
礼儀も作法もなく、手づかみで貪るのではないだろうか。
取り澄ましているうちに餓死したら、死んでも死に切れぬ。

箸使いがどうこうというコメントが多い割には、
ナイフやフォークの使い方を論じる人が少ないのも気になる。
人の箸使いをとやかく言う人間は、自分の箸使いに自信があるのか。
それがナイフやフォークだったら、同じ自信を保てるのか。


この備忘録を書こうと思ったきっかけが、箸使いだった。
実は、6年半も前にマナーを記事にしたことがある。
今回は、そのときをはるかに上回る量の記事になるだろう。
だが書かずにはいられない、その気持ちを再確認して一回目を終了する。

2012 / 11 / 14 ( Wed ) 12:24:31 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
本を、読む。


<湧くからに流るるからに春の水>
季節はずれの俳句を引いてみましたが、これには意味があります。
作者の名前を書いていないのですが、誰の俳句だと思いますか?
答えは、最後に。


さて、時間の自由が利くようになったので、本を読んでいます。
たとえば、これ。

俳句の本

地域の図書館のリサイクル図書で、無料で貰ってきたものです。
刊行は平成11年の暮ですが、定価2000円ですよ。
それがタダとは、ありがたい話じゃありませんか。

で、読んでるときに、国語辞典と漢和辞典と英和辞典を置いておくんです。
それを見たカミさんが、不思議そうにあたしに尋ねるんですね。
「分からない言葉なんか、あるの?」って。

話は遠回りになりますが、短歌や俳句の評論てのは好きなジャンルなんです。
短歌や俳句ももちろんですが、それを評している文章というのは実に面白い。
まず、日本語が正しく美しいということが一番ですね。
また、表現が豊かで、読者に伝わりやすい言葉を選んで書いてあります。
相手が短歌や俳句ですから、一つの項目が長すぎないのもいいんです。
どこからでも読めて、いつでも中断できますのでね。
著名な歌や句を、この著者はどう捉えているのだろう?
そんな興味も、読む気分を大いに盛り上げてくれる要素の一つになります。

さて、カミさんの疑問に対するあたしの答えですが、「ほとんどないよ。」です。
では、なぜわざわざ辞書を手元に置いて読書するのか。
それは、【赤線部分をはっきりさせておきたいから】ということになります。


<続きはこちらから>
2012 / 11 / 02 ( Fri ) 11:44:23 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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