ればたら競馬論③


前回のエントリで「京都の三千」と書いたら、早速お叱りを受けた。
天皇賞は3200m、三千は菊花賞でしょう…と。

はい、いかにもその通りです。
面倒だったので三千と書いたのですが、横着でした。
謹んで訂正いたします。

トーセンラー、1枠1番とは願ったり叶ったりだ。
内に潜り込んでいれば、スローでも掛かる心配はない。
豊がよくやる、「他馬を壁にして」折り合わせるレースになる。
あとは馬場のいいところを選んで伸び切るだけだ。
豊は淀の天皇賞を知り尽くしているから、そつなく乗ることだろう。

さて、1986年にクシロキングという馬が勝っている。
良績が二千に集中していたため距離不安がささやかれていたのだが、
名手岡部幸雄がその中距離馬クシロキングを鮮やかに春の盾獲得へと導いた。
曰く「1マイルの競馬を2回させるつもりだった。」とか、
「前半は死んだふりをしていて、後半だけマイルの競馬をした。」とか。
つまり、乗り方次第で距離はどうにか克服できるかもしれないのだ。

クシロキングの話ではなく、トーセンラーの話である。
2月10日にラーが勝った京都記念の上がり4Fのラップは次の数字だ。

京都記念   12.0 - 11.8 - 11.3 - 11.5  34.1

レースの上がり4Fが46.6で3Fが34.6、ゴールドシップはこれを差し切れるだろうか。
天皇賞の前半1000mが穏やかに回るだけのレースになった場合に、
残りの2200mが京都記念のようなレースになりはしないだろうか。
オルフェーヴルなら、こういうレースはあっさりと差し切ってみせるだろう。
だが、ゴールドシップがこれを差し切るシーンを、私はイメージできない。

まだ、ある。

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2013 / 04 / 26 ( Fri ) 07:36:46 | 競馬 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
ればたら競馬論②


現段階で私が天皇賞の本命と思っているのは、

トーセンラー     である。

理由を説明する前に、これを読んでみていただきたい。
→→藤原英調教師の談話

いかがだろうか。
ラーに対する私のイメージは、「京都外回り専用」である。
この馬、実は3勝しかしていない。
ヘタすれば、1600万をうろちょろしているレベルかもしれないのだ。
だが彼はバリバリのオープン馬、それも天皇賞を狙える器だ。
秋の、府中の二千の、だったら1円も要らない。
春の、京都の三千の、だから勝負になるのである。

前回触れたゴールドシップの弱点は、ラップ…というか「上がり差」にある。

皐月賞   12.2 - 12.7 - 13.6 - 12.1  34.6
菊花賞   12.2 - 11.9 - 11.8 - 12.4  35.9
有馬記念  12.1 - 12.1 - 11.9 - 12.0  34.9
阪神大賞典 12.2 - 12.1 - 12.3 - 13.0  36.8
(レース名の直後は上がり4F分のハロンラップ、赤字はゴールドシップの上がり3F)

これは勝ったレースを四走分遡ったものだが、33秒台の上がりはない。
レースの上がりも特筆すべきものはなく、皐月賞などはGⅠのレベルではない。
もちろん、稍重発表ではあったが下が緩かったことが原因とは思う。
それにしても、だ。
内田が果敢にラチ沿いを選択した騎乗が絶賛を浴びたのだが、
それでも自身の上がりは34.6だったというのが事実なのである。
上がりのかかるレースを後方から追い込んで勝つパターン、
一見強そうに感じるのだが時計のマジックがあることも間違いない。

分かりやすい例として、これをご覧いただきたい。
→→究極とも思える後方一気 ブロードアピール

千二のレースで、4Fの上がりが11.3 - 12.1 - 11.7 - 12.2、
ブロードアピール自身の上がり3Fは34.3という普通の数字なのだ。
だがレースの上がりを1.7秒上回れば、それは鮮やかだろう。

とこのように書いてくると、ある疑問が浮かぶはずだ。
三千のGⅠと千二のGⅢを同様に扱うなど、正気ではない!

いやいや、百も承知二百も合点である。
その根拠は、続きを開いて確認願いたいと思う。

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2013 / 04 / 24 ( Wed ) 20:05:02 | 競馬 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
ればたら競馬論①


<週末の中央競馬を振り返る「ればたら競馬論」、始めます。>

20日土曜日「福島牝馬ステークス」GⅢ
勝ったオールザットジャズは昨年に続く制覇、馬場との相性を伺わせる。
だが、昨年がそうであったように、ここを勝っても次につながる保証がない。
昨年はヴィクトリアマイルで二番人気に推されたものの、16着に惨敗。
ローカルの牝馬限定GⅢあたりが「ホド」ということだろうか。
私はピュアブリーゼの粘り込みに期待して、単複を持っていた。
アタマなら単勝が4800円つけたが、惜しくも勝ち馬からクビ+クビの3着。
先行勢で唯一残ったことは、素直に評価しておきたい。
この複勝850円のおかげで、土曜日はプラス収支で終えることができた。
松岡が制裁を食ったが、あいつは忘れた頃にやらかす。
馬が左(外側)に寄っているのに、ずっと右からムチを入れていた。
パトロールビデオはこちら→「松岡 制裁騎乗」
14番アロマティコが被害を受けた云々という審議内容だったが、
明らかに13番のミッドサマーフェアも被害を受けている。
闘志は闘志で結構だが、何とも品のない騎乗と言っておこう。

東京メインのカフナ、これは予想を上回る勝ちっぷりだった。
前走でややタフな競馬をしたので、東京へ持ってきても
もうお釣りがないのではないかと内心では思っていた。
それが蓋を開けてみればあっさり、完全な見立て違いだった。
この分ならグレードレースの一つや二つは勝ちそうだ。

このレース、ネコパンチが逃げて沈んだ。
同日の9Rでは弟のネコタイショウが逃げて、こちらも沈んだ。
同一馬主で兄弟でどちらも逃げタイプ、面白い。

東京最終2着のアプリコーゼ、昇級初戦でいい内容だった。
次は人気になってしまうかもしれないが、十分に狙える。

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2013 / 04 / 22 ( Mon ) 09:17:42 | 競馬 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
国民栄誉賞


長嶋と松井のダブル受賞が決定して、たいへん嬉しく思う。
この機に、自分なりの「国民栄誉賞観」を整理しておきたい。

そもそも王が本塁打数の世界新記録を達成したのがきっかけで、
当時の福田赳夫内閣が創設したのが国民栄誉賞だった。
ここでは説明を省くが、ウィキペディアに詳しい。
受賞者を見渡して第一に感じるのは、没後に与えられるケースが多いことだ。
本塁打数や連続出場あるいは勝利数といったようなものは数字が明らかで、
それが新記録だ世界一だとなれば賞を与える基準として客観的で良い。
だが、国民に感動を与えたのなんのとなると、主観の域を出ない気がする。
美空よりも島倉に与えたい、そう思う人がいてもなんら不自然ではない。
だが、まあ、美空ひばりは誰もが納得する受賞であるし、
その受賞を否定したり貶めたりするつもりは毛頭ない。

残念に思うのは、大鵬の受賞だ。
受賞が残念なのではなく、タイミングが残念だというのだ。
大鵬逝去の報は、大鵬世代の私にはとてつもなく大きな衝撃だった。
それと同時に、「これで国民栄誉賞だな。」という直感もあった。
なぜ生前に贈ることができなかったのか?
そんなことを後になってから四の五の言っても埒があかないのだが、
大鵬には賞を贈る絶好のタイミングがあったと、私は考えている。
それは、千代の富士が受賞したときだ。
千代の富士に賞を贈ると同時に賞に値する力士を探せば、
引退した力士の中から大鵬の名が浮かび上がったに違いないのだ。
優勝回数、連勝記録、それに何と言ってもあの強さと美しさ。
できれば存命中に贈りたかったものだと、今更ながらに思う。

なでしこジャパンと吉田沙保里に関しては、疑問もなくはない。
だが、受賞を否定するような下衆な真似はしたくない。
民主党だから仕方ない…ぐらいに考えておけばそれでいい。
民主党が与えたもう一人の森繁久彌、これも生前にしてやりたかった。
森光子のときに、自民党が同時に与えればよかった。
タイミングを逸してしまうと、死ぬのを待つことになってしまうのだ。

だから、長嶋は死なないと受賞できないものだと思っていた。
物心ついてから野球が好きでずっと見続けているが、
長嶋ほどの華を持つ選手というのは未だかつて見たことがない。
国民栄誉賞を誰にやりたいかという議論になれば、真っ先に名が挙がる。
だが、タイミングをつかみにくい候補という意味でも一番だった。
なればこそ、今回の決定がこれ以上ないほどに嬉しく、ありがたいのだ。
松井は、はっきり言って、ダシである。
イチローは固辞しているらしいが、まず野茂にやるべきだと思う。
野茂以前にもメジャー挑戦者がなかったわけではないが、
彼の開拓精神があったからこそ現在の日本人メジャーリーガーがある。
その野茂を飛び越えて松井が受賞する理由はただひとつ、
なんとか言い訳を作ってでも存命中の長嶋に与えるためである。
今の自民党には、なかなかの知恵者がいるのだと感じた。
師弟関係というのも、どこか日本人のDNAをくすぐるではないか。

今回の受賞、実は上毛新聞がスクープしたという事実がある。
そういうことになるらしいと我々が知る前日のことである。
群馬選挙区選出の参議院議員に嫌疑がかけられているとかいないとかだが、
群馬といえば中曽根康弘のお膝元であることを思い出さねばならない。
そして中曽根康弘と渡邉恒雄の関係を考えれば、全てが腑に落ちる。
これ以上のことは、私がここで書いても仕方があるまい。

そうではあっても、私は素直に喜びたいと思っているのだ。
根っからのジャイアンツファンだから言っているのではない。
長嶋が生きているうちに国民栄誉賞を贈れることが、単純に嬉しいのだ。
長嶋の引退式、高校生だった私はテレビの前で号泣した。
そういう喪失感というものを、生まれて初めて体験した日だった。
王が引退するときは、別段何とも思わなかった。
ジャイアント馬場が死んだ時も、どうということはなかった。
津田恒実の死に方は壮絶で悲しかったが、病気だし仕方ないと割り切った。
大場政夫や玉の海なども衝撃ではあったが、号泣ということはなかった。
喪失感ということで言えば志ん朝と談志であり、勘三郎と團十郎である。
勘三郎のときは少しセンチメンタルになったものか、涙が出た。
だが、長嶋茂雄は、ケタが違う。
長嶋が死んだら、私はまた引退式のように号泣するに違いない。

長嶋の受賞が決まって、あとは誰だろうと考えてみる。
野球なら前述のイチローと野茂、相撲界には目下該当者がいない。
志ん朝と談志は賞に値したと思うが、今となってはその論も虚しい。
歌舞伎も、国民栄誉賞となるとどうだろうか。
いろいろな分野に目を向けてみても、この人!という決定打はない。
長嶋の受賞で、どこかホッとしてしまったのかもしれない。

国民栄誉賞が、国民の発意で授与されるようになればいいと思う。
世論が政治に影響を与えるように、国民の純粋な気持ちが集まって
誰かに賞を贈呈するような図式ができ上がれば素敵だと思う。
それが日本という国の中だけである必要もないと、私は考えている。
例えばスティーブ・ジョブズに、例えばチャーリー・チャップリンに、
日本人が国民の総意として何らかの感謝を捧げてもいいではないか。
グローバリゼーションを謳うなら、それぐらいの柔軟性があってもいい。

5月5日の授与式が、今から楽しみである。
もしかすると、もしかすると、私は泣いてしまうかもしれない。
2013 / 04 / 17 ( Wed ) 11:10:54 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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