シリーズ 「元気な病人」 第四話


精神科受診の目的は、「メンタル系の症状ではないという確証を得る」ことだった。
癲癇とはっきり決まるのであれば、治療の方法はほぼ一通りに決まる。
だが、いわゆるトラウマやPTSDのようなことがあるのなら、話は大きく変わる。
この辺りの事情は第三話にも書いたことなので、重複は避けたい。

高校に入ってからの遊の意識消失は、数えれば10回近くにも上る。
いつも同じような発作が起きるのだが、それは同じ原因であることを示す。
言い方を変えれば、決まった病気から決まった発作が起きるのである。
ただ、問題は、発作が起きるときのスイッチが何かということなのだ。
自分にとってストレスになることをグーッと思い詰めてしまうと、
それがきっかけとなって発作を引き起こすのではないかという論理だ。
何でもないときにでも発作が起きるのなら、それはいつどこで起きてもおかしくない。
ところが遊の発作は、学校に関わる時間の中だけで起きるのである。
通学途中、授業中、休み時間、帰宅途中、すべて学校に関わっている時間だ。
自宅で発作を起こしたことは、中学時代から、ただの一度もないのである。
では学校がそんなに嫌なのかというと、これがそういう訳でもない。
本人は学校に行くことを嫌がりはしないし、むしろ行きたがるのだ。
ちょっと謎めいた感じもするのだが、因果関係は釈然としない。

精神科の指示で、綿密なMRI検査を受けた。
三宿病院では造影剤を使わなかったのだが、それを使っての撮影だ。
循環器に疾患があるかどうかを綿密に調べるということだが、結果はシロ。
そして、第一話に書いておいたような検査を受けてメンタルも調べる。
メンタルに問題があるなら、まずはそこを治療しなければならないのだ。

話は遠回りになるが、メンタルの治療は意外と辛いものらしい。
嫌な思い出をわざわざ呼び覚まして、それに打ち克つ治療をするという。
そういったメソードはアメリカでの発達が著しいのだと、医者は言う。
戦争とレイプ、メンタルをやられるケースはこの二つに集中しているらしい。
なるほど、アメリカではこれらの原因で病んでいる人間が多いことだろう。
もしそういう症状だと診断されれば、遊もそんな治療をされることになる。
高校一年生にはちょっと厳しくなる、精神科の医者はそう心配していた。
だが、幸いなことに、そういう症状ではないことがはっきりした。
癲癇であることを確定させるために、他の病気ではないことを証明していくのだ。
そうやって様々な可能性を潰していって残るのが癲癇、そういう消去法だ。

数回にわたって精神科を訪れ、メンタルには問題がないと保証された。
いよいよ三宿病院の精神内科に戻って、癲癇の治療を開始することになった。
治療の中心は投薬、というか、それが治療の全てと言ってもいいかもしれない。
テグレトールという名の薬が処方され、それを飲み続けるのである。
だいたい三年間から四年間服用し続けて、それで完治するらしい。
成人式を迎える頃には治っている、そんな計算になる。

遊は、だいぶ安心したようだ。
ほとんど原因がわからないまま記憶を失うことの怖さがあっただろう。
また、それがいつ起きるか予測もつかないという怖さもあったに違いない。
だから、医者から「治るよ」と言われたときはかなり嬉しそうだった。
それも、薬を一日一回服用するだけなのだから、煩わしさも知れている。
親としても一安心…だったはずなのだが、話はそう簡単ではなかった。

2013 / 11 / 18 ( Mon ) 06:47:42 | ガキンチョ日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑


【来る花も来る花も菊のみぞれつつ 久保田万太郎】

妻の葬儀に菊ばかりが並ぶのを万太郎が詠んだ一句である。
私なども菊といえば仏花、そういう思い込みから抜け出せないでいる。
父は菊が嫌いで、俺が死んでも墓に菊を供えるのはやめろと言っていた。
死後15年以上が過ぎた今でも、父の墓に菊を供えることはない。
父の影響なのか、母も菊の花は好きではないとよく口にしていた。
仏壇に飾る花も、絶対に菊を使おうとはしなかった。
だから8月の母の葬儀では、菊を使わないように葬儀屋に注文をつけた。
七七忌の法要でも、菊は一輪たりとも用意しなかった。
ついでに言うと、私も菊が嫌いである。
好きではないなどという程度ではなく、はっきりと嫌いである。
紫陽花は色が変わるから嫌い、菊はあの独特の香りが嫌いだ。
日本料理では食材として菊の花を使うが、私は敬遠したい口である。

さて、そんな私だが、人生で一度だけ菊に感動を覚えたことがある。
私が自分の庭と言って憚らない新宿御苑で、季節は今時分だった。
菊花壇展というのをやっているというので、わざわざ出かけたのだ。
菊を見てみようと思ったのは、おそらくは気まぐれに過ぎなかった。
あるいは、新宿育ちの意地として、御苑の行事は見てみたいと思ったものか。
それが、ただただ素晴らしかったのである。

水原秋桜子に【冬菊のまとふはおのがひかりのみ】という句がある。
冬菊は小菊だが、御苑の菊花壇展の菊は堂々たる花ばかりだ。
そして秋桜子の句のように、おのずから静かな光を放っている。
その存在感とあまりの静謐さに、私は息を飲んだ。
花や盆栽あるいは庭などに手を掛けることを、「丹精する」という。
目には見えぬはずの「丹精」が、そこでは形となっていた。
花の香りのことなどは、まったく記憶に無い。
そんなことはどこかへ吹っ飛ぶほどの、圧倒的な展示であった。

余談だが、菊で思い出した笑い話がある。
今、JRAの所属馬でクリサンセマムという名前の馬がいる。
クリサンセマムとはそのものずばり、菊である。
それを某局のキャスターがクリサンセ・マムと切って読んでいたのだ。
「マム」を「お母さん」か何かと勘違いしていたのだろうか。
当のクリサンセマムは、牡馬なのだけれど。
菊の英語での綴りはchrysanthemum、綴りが難しいことで名高い。
また単語が長いので、mumと略されることもあるらしい。
だが、競馬中継のキャスターが細切れにしてはいけないだろう。

菊花壇展は毎年行われているのだが、私は一度しか経験していない。
やはり、嫌いなものは嫌いなのだ。
あるいは、菊に圧倒されるのが少し悔しいのかもしれない。
それでも、何年か経ったし、今年はまた行ってみてもいいかなと思っている。
興味のある方はこちらを参照されたい。→新宿御苑 菊花壇展
11月は花園神社で酉の市も開かれ、今年の一の酉は昨日だった。
御苑にお酉さまにと、何とはなしに新宿に惹かれる11月だ。
それが育った街への郷愁だとするなら、私も少し年を取ったのに違いない。
2013 / 11 / 05 ( Tue ) 04:23:24 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
大変長らくお世話になりました。


タイトルのような書き出しの紙が、店のシャッターに貼られる。
何十年やってきたとか、ご愛顧感謝いたしますとか、そう書かれている。
そうすると、「え、閉店かよ!?」と慌てた客が殺到する。
当然、店はにわかに活気づいて、どうかすると行列ができたりもする。
だが、それは一瞬のこと。
通夜・告別式の参会者は、一週間もすれば死者を意識しなくなる。
いつまでもそれを引きずるのは身内だけ、そう決まっている。

一昔前にウチが贔屓にしていた肉屋が、まさにそうだった。
諸事情あって閉店を決めたものの、一時的に客が増えたものだから、
よせばいいのに閉店を先延ばしして商売を続けた。
親父は「これなら閉めないですむかも…。」と夢を見たが、
来る時が来たら、案の定、客はパッタリとなくなってしまった。
「あの時にやめておいた方がよかったよ。」と親父は呟いた。

ラーメン屋の閉店なども、似たような傾向にあるようだ。
閉店の報を聞いて駆けつける客は、何を望んでいるのだろう。
最後にもう一杯食べておいきたいという気持ちなのか、
自分がその店に刻んだ何かを確かめたいとでも思うのか。

やめると言うならやめさせてやれよ。

やめたいと言うヤツは放っておくのが一番だ。

私は常々そう考えているので、駆け込むような真似はしたことがない。
強がりでも負け惜しみでもなく、そういう行為が性に合わないだけのことだ。

だから「笑っていいとも」が放送終了になると知っても、

あ、そ。

これで終わりである。

タモリに対しては凄いことをやり続けたという尊敬も抱くし、
番組に対しては日本のTV文化を大きく変えたことを評価している。
だが、終わるというなら終わればいいではないか。

人が死んだあと、「生前には大変お世話になったので…」などと言うやつがいる。
そういう手合に限って故人とはさほど密でなかった、そんなことが往々にしてある。
肉屋の閉店を惜しむ前に、毎日肉を買って食えばよかったではないか。
ラーメン屋の閉店を惜しむなら、毎日そこで食えばよかったではないか。
だが、魚も野菜も食うなら、毎日肉ばかりという訳にはいくまい。
ラーメンだって同じ店だけで食うのではなく、他の店にも行くだろう。
人間誰しも、「同じことばかりをし続ける」ことはできないのだ。

最後は、最期は、笑顔で、拍手で、そして、少しだけ賑やかなのがいい。
2013 / 11 / 02 ( Sat ) 08:05:10 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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