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○○料理、ただし「自称」-久々の長編


インド料理に目覚めてから、何度か教室に参加したことがある。
ある料理店のインド人店主の教室には二度参加したが、二度ともつまらなかった。
ナンやタンドリーチキンのレシピなどはネットで入手できる時代なのに、
自分のレシピがこの世で一番であるかのような自慢ぶりにうんざりした。
そのレシピで作ったナンはまるで旨くなく、ナンはレシピよりもタンドールが命と
気づいたことが収穫らしい収穫だったと今になっても感じる。
玉ねぎの切り方も自慢していたが、まな板を使わないのは横着にしか見えない。
文化の差と言ってしまえばそれまでのことではあるのだけれど。

日本人のレクチャーも受けたことがあるが、きわめて手の遅い人が多いのに驚く。
野菜のカットを見るだけでも、いわゆる「料理人」でないことがわかるほどだった。
包丁から始まってまな板や布巾や鍋の扱いに至るまで、どこもかしこも素人。
一番気になるのは衛生観念の欠如で、目を覆いたくなる光景もしばしばあった。
そしてたっぷりと時間をかけて出来上がった料理は凡庸そのもの、肩透かしもいいところだ。

私のインド料理観が一変したのは、ある小さな体験がきっかけになっている。
某インド料理店にいた時、コックの公休回しのために代打のコックが来た。
アリという名だったが、そのアリの作る料理に私はたいそう驚かされたのだ。

<続きはこちらから>
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2014 / 09 / 23 ( Tue ) 16:49:49 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
批評と揶揄


だいぶ前に、エレクトーンの素晴らしい演奏を紹介したことがあった。
その奏者の別の演奏を見ていて、ちょっと引っ掛かったことがある。
演奏は、こちら。↓



この演奏に対して、「雑だ」というコメントがついた。
するとそのコメントに対して、さらなるコメントがついた。
 「雑だってやつ、もっと上手く弾けるのかよ。」

上手く弾けなければ雑だと指摘してはいけないのか?

文学の評論をする人は、文学作品を実際に書いているか。
料理を批評する人は、一人残らず一流の料理人なのか。
ちょっと考えてみれば誰にでも分かることだが、NOに決まっている。
「雑だ」という指摘は個人的な感想であり、批評である。
だがそのコメントにケチをつけるのは、ただの揶揄に過ぎない。

ではこの演奏が実際にはどうなのかというと、雑なのだ。
演奏者maru氏は相当な腕の持ち主で、感動的な演奏もある。
だがこの演奏は、彼女にしては雑だと言わざるをえない。
リズムが保たれていないのが、なんと言っても致命的だ。
おそらく運指のせわしなさがリズムを乱しているのだろうが、
彼女の実力ならもっと正確なプレイができるはずなのだ。
このことは、音楽に馴染んでいる人ならすぐに分かるはずだ。

雑だと言われて本人がそう思うのなら、演奏を改善すればいい。
そう思わないのなら、その程度の耳と腕しかない演奏家ということだ。
人気ゲームの人気曲を演奏していることで評価は高いのだが、
評価とは別に「演奏の粗さ」が見え隠れしているのは厳然としている。
個人的には、私は氏の演奏をたいへん好んで聴いている。
演奏技術もさることながら、ゲームへの思い入れが伝わるのが良い。
聴いていて楽しくなるし、古いゲームを引っ張り出してみたくもなる。
そういった意味合いからすれば、理想的な演奏だと思っている。
ゲーム音楽の世界観をこれほど素敵に再現する演奏は、他にない。
だが、好みは好みで批評は批評、雑なものは雑なのである。

問題は「これより上手く云々」というトンチンカンなコメントだ。
文化的な熟成度が低い人間の仕業だろうと察するのだが、
無教養というか粗野というか無知というか幼稚というか、情けない。
こんなのがいるから、ネットでの炎上騒動が後を絶たないのだろう。
知り合いなら、サシで説教を食らわせるところである。

日常を感情任せに生きている私が言うと説得力が微塵もないが、
冷静に筋道立てたものが「批評」なら「揶揄」は感情の吐露だ。
お前の母ちゃんデベソのレベルだと、断言しておこう。
全く関係ない話題なのだがこの心ない連中も、である。

心ない…
2014 / 09 / 21 ( Sun ) 18:00:07 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
海苔弁、その②。


海苔弁のことを書こうと思ったのだが、以前に記事にしたことを思い出した。
探してみたら見つかったのだが、なんと9年も前の10月のことだった。
だから今回のタイトルを【その②】とした。

過日、12名という大所帯で東京ドームへ乗り込んで野球を観てきた。
その際に私が用意していった食事が海苔弁、これが大好評だったのだ。
作り方の詳細は上記のリンク先に書いてあるのでここでは触れないが、
海苔弁を旨くするポイントがいくつかあるので書き留めておきたい。

まずは、良質の米を上手に炊くこと。
野球観戦の際に使った米は、南魚沼産の正真正銘のコシヒカリ。
それをガス釜で一升二合炊き、その一部を弁当とした。
巨大なタッパで作り、どうやら飯は四合ほど入ったようだ。
米に関してはもう一つ大切な要素がある。
それは、弁当箱にぎゅう詰めにしないこと。
ガチガチに詰まった飯は、海苔弁に限っては大NGである。

そして、かつお節と海苔を吟味して使うことも大事だ。
かつお節はカビ付けされた節を削り出したコクのあるもの。
大きなものは口の中に残り気味になるので、細かい削り節がいい。
海苔はリンク先の記事のように、小さくちぎって使うのがミソ。
この手間で、海苔弁の味は飛躍的に向上するのである。
今回の海苔は、有明産の一枚50円ほどのものだった。

そして最後は醤油だが、これもなるべくいいものを使うのが望ましい。
ただ、味の好みがあるので、どれが理想とは言い切れない部分がある。
ちなみにウチではキッコーマンの特選丸大豆醤油を愛用していて、
今回の海苔弁に使ったのもキッコーマン特丸であった。
飯に対してどれほどの量を垂らすかは、案外難しい。
海苔のかけらを醤油につけて並べるので、その分も計算する必要がある。
これは、経験を積んで体で覚えるしかないと言っておこう。

容器に詰めて持ち運ぶ間に、中身が均一に蒸れて味が馴染む。
そこをガシガシぐいぐい食べるのが、一番旨いように思う。
冷えきって飯がカチカチでは困るし、レンジ加熱などすると香りが飛ぶ。
今回は、ドームで、回し食いで、というオプションもついた。
BBQだと不味い肉も旨く感じるように、付加価値がつくことで
シンプル極まりない海苔弁が本来以上に旨く感じられたのだろう。

私が海苔弁を作るのを見ていた家人が、「食べたくなっちゃってさあ…。」と。
3日ばかり経ってから自分でせっせと作り始めたので、写真を撮らせてもらった。

海苔弁2014 横から

下から、飯、かつお節、海苔、それを二層構造にするとご馳走感が増す。
普通の弁当屋の海苔弁は一層だし、海苔をちぎってあるはずもない。
また、原価コストの関係上、かつお節を使うなどもってのほかだろう。

海苔弁2014 上から

上から見たら、醤油で濡れた海苔が見えるばかりだ。
タッパの端の方に、辛うじてかつお節と飯が見えている。
注目すべきは海苔のツヤで、海苔の表側が上になっているのだ。
海苔をちぎって醤油をつけて、それを全て表が上になるように敷き詰める。
手間と愛情を料理に込めたいのなら、こういうところに労力を注ぐしかない。
横着から美味は生まれないものなのだ。

実に完成度の高い料理で、しみじみ旨いなあと思う。
梅干し、漬物、そういった副材料さえ不要なのではないか。
どうしても何かを加えるなら、唯一考えられるのはシラスだ。
だが、そうなると既に「海苔弁」ではなく「シラスご飯」だろう。
海苔弁というからには、やはり海苔がフューチャーされているべきだ。
大げさではなく、日本に生まれ育ったことのありがたみを感じる。
海苔弁は、日本人のDNAに訴えかけてくる秀逸な料理なのである。
2014 / 09 / 02 ( Tue ) 04:25:45 | 美味しいもの | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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