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ればたら競馬論⑯


的中したレースをすぐに記事にするのは浅ましい気もするが、
たった今考えていることを形に残しておきたいと思う。

ショウナンパンドラを買うことは、実は天皇賞直後から決めていた。
今月の1日に行われた天皇賞のレースをよく見てみると、
今日のパンドラの好走を予想できるヒントが潜んでいるのだ。
そのレースはこちら→→第152回天皇賞(秋)

後方からスムースにレースを進めていくパンドラ、池添は4コーナーで外を狙う。
だが右前方に戸崎鞍上のステファノスがいて進路が開かない。(1’48”あたり)
それどころか外からの圧力で、少しだけ内にスライドさえしている。(1’50”あたり)
池添はやはり外への進出を図るがこの時点でステファノスはすでに1馬身前で、
戸崎は手綱をしごいて本格的に馬を追い出しにかかっている。(1’53”あたり)
アナウンサーの「残り400の標識を通過する」の声の後カメラは先頭に振られるが、
そのカメラが引かれてもイスラボニータとステファノスまでしか入ってこない。(2’02”あたり)
直後にカメラが切り替わると、パンドラが左から三頭目に見えている。
ここではステファノスと2馬身の差があるように思う。
そこからパンドラはまだ末脚を伸ばし、結果は4着での入線。
先に抜けだしたステファノスとイスラボニータには及ばなかったものの、
イスラボニータとはハナ差、ステファノスとは3/4馬身差まで詰めている。

ラブリーデイは道中かかっていたのにこの勝ちっぷりで、強かった。
だが2着以下は順位など当てにならないレースだったと、私は見た。
現に、パンドラもステファノスと同じ33”4で3Fを上がっている。(レース最速タイ
要は、四角での位置取りが僅かに違えば、結果も違ったということなのだ。

<続きはこちらから>
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2015 / 11 / 29 ( Sun ) 18:52:30 | 競馬 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
一の酉の宵宮に花園神社界隈ををうろついた話


浅草にある鷲神社の酉の市にも行ったことはあるのだが、
私にとっては酉の市といえば新宿花園神社と決まっている。
何と言っても、徒歩20秒のところに暮らしていたのだから仕方ない。
新宿を離れて30年になるがこの季節になるとやはり気になるので、
昨日、一の酉の宵宮で賑わい始めた花園神社へ行ってきた。

2015年酉の市-1

死んだ親父は、酉の市や祭りの時に神社へ行きたがらなかった。
戦後に池袋の闇市でダークな生活を送っていた頃の顔見知りが
テキ屋などに多いから会いたくないのだと、そう言っていた。
真偽のほどはわからなかったが、たぶん本当のことだろう。

本当だと断ずることができる出来事が、一度だけあった。
後楽園遊園地に遊びに行った時に、親父に声を掛けた人がいた。
「テルさん、テルさん!」その人は、義照という名の親父をそう呼んだ。
招かれるままに事務所に入っていった親父が出てきた時には、
今で言う一日フリーパス券を人数分持っていたのである。
親父は私に、「こういうことがあるから、弱っちゃうよなあ。」と言った。

昔の仲間に会ったことが、「弱る」ことではなかったのだと思う。
そういう生活をしていた事実を子供である私に見せることに、
親父は親父なりの後ろめたさを感じていたのではないだろうか。
喧嘩っ早かったが照れ屋の一面を持っていた親父らしい。

2015年酉の市-2

今は入れなくなっているのだが、当時は社務所の裏にも店が出ていた。
今よりもずっと間口の広い射的の店が出ていたのも、社務所裏だった。
その店のおばちゃんの目に弾を命中させてしまったバカが、逃げた。
逃げたバカはともかく、おばちゃんの目はみるみる腫れてしまった。
目を洗うにはホウ酸、私は近くにあった薬局に走ってホウ酸を買い、
射的のおばちゃんのところへ持って行ってやった。
おばちゃんはすぐにホウ酸を水に溶いて手拭いに含ませ、目に当てた。
そして、手を合わせんばかりに私を拝んで、遊んで行けという。
金なんか要らないから、好きなだけ撃っていけというのだ。
今のテキ屋に、そういう気風の人間はまだ残っているのだろうか。

2015年酉の市-3

関西の人間と違って、東京の人間は物を値切ることを恥だと感じる。
だが、酉の市の熊手は負けさせて買うのが常識である。
そして、負けさせた分を祝儀として置いてくるのが暗黙のルールだ。
威勢よく手締めをしたら熊手を高く掲げて歩くのも、一つの縁起である。
福を掻き込めるようにと願う江戸庶民の気持ちが、少しだけわかる気がする。

2015年酉の市-4

この辺りのどこかの店から、東南アジア訛りの日本語が聞こえてきた。
江戸だ東京だというだけではなく、テキ屋もワールドワイドになったものか。
30年も経てば、変わらないほうがむしろ不自然なのかもしれない。

花園神社を後にして、ゴールデン街に足を踏み入れてみた。
夕方5時ではさすがに開いている店など一つもなく、何軒かが
掃除や仕込みのためにかろうじて扉を開いているに過ぎなかった。
昔なじみの顔を見たかったが、そもそも生きているかどうかも不明だ。
呑兵衛だけで構成されていた街だから、みんな早死になのだ。
東京で生まれ育った私にとって、唯一故郷と呼べるのが新宿。
それも、あろうことか、ゴールデン街の中の「五番街」である。
地上げブームの時に、さる大資本が街をそっくり買うという話があった。
巨大な商業施設を作って新宿の新しい顔にするという触れ込みだったが、
どういう訳だかその話はしばらくして立ち消えになってしまった。
おかげで私の心の中にある「故郷」は救われて、今なお健在だ。
そして、細い路地や街の匂いまでもが、あの頃のままに残っている。
2015 / 11 / 05 ( Thu ) 12:07:44 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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