恵方巻きなんて習慣は知らん、そう言い始めてもう15年経ちますか。 つまり、例のコンビニが恵方巻き商戦を仕掛けて15年ぐらいですね。 購買層も海苔巻きにばかり流れて、打豆やイワシは今ひとつです。 スーパーでは柊の葉も見かけましたが、売れ残りも見られました。 節分の本義である【追儺】が軽視されるのは、残念でなりません。 「節分そば」という言葉も聞きますが、私はまったく知りません。 知らないというのは、我が家にはそういう習慣はなかったということです。 この手の行事は家庭家庭でやり方があるもので、少なくとも私の両親は、 節分だからと蕎麦を食べることはただの一度もありませんでした。 柊、イワシ、豆まき、それが我が家の節分の全てだったのです。 父も母も、昨今の節分を見てあの世で苦笑いしていることでしょう。 節分の次の日は、立春です。 暦の上では春なのに…という寒がりさんも、多くおいでのことでしょう。 ですが、立春を迎えれば春になった、という安直なものではありません。 「春が立つ」とは、「寒さが底を過ぎ、暖かくなり始める」程度のことです。 本格的に暖かくなるまでには、まだまだ日数を要します。 暑さ寒さも彼岸まで、あとひと月半ぐらいは辛抱するとしましょう。 近所にある成願寺の門の前には、紅白の枝垂れ梅が一対あります。 画像は、今月一日の宵に梅と月と金星を無理やり収めたものです。 この梅が咲き始めることは、私の身に変化が起きる予兆になっています。 すなわち、花粉が飛散し始めるぞというサインなのです。 春の到来はありがたくもあり鬱陶しくもある、そんな個人事情です。 節分のあり方が変わっていくことを考えると、やや複雑な思いです。 ですが、そういう時代に生きているのだと思うしかありません。 クリスマスの次に嫌いな行事も、すぐそこに迫っています。 しばらくの間は、酒を相手に伝統行事の何たるかを考えてみます。 <鬼も来よ 春立つ宵の ひとり酒 義衛>
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