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秋のことども


<家は皆杖に白髪の墓参り 芭蕉>

「墓参り」や「墓参」は秋の季語として区分されています。
春の彼岸にも墓参りはするでしょうに、不思議なことです。
また単に「彼岸」というとこちらはの季語に分類されており、
                      ↑ 間違いを訂正しました 10.03
秋の彼岸を表すには「秋彼岸」と二音多く費やすことになります。
これもまた季語の不思議という気がしてなりません。

秋彼岸明けの9月26日に、墓参りに行ってきました。
もともと霊魂などを信じないので墓参りなどどうでもいいあたしですが、
お袋と一緒に歩いて足腰の様子を確かめる目的がありました。
また、遊に、どうしても墓前で話しておきたいことがあって、
珍しい取り合わせで孫子三代の墓参と相成りました。

墓

墓参りは、故人を偲ぶことが第一目的でしょうか。
最近のあたしは、どうもそうではないような気がしてきています。
故人を偲ぶのは、どこにいてもできることですから。

墓を掃除して花を入れ、水を掛け線香を置いて手を合わせる、
その一連の行為が自分の心境を映し出す行為のように思うんです。
何もかも満ち足りている時の墓参と何かが足りない時の墓参、
同じ墓に同じように足を運んでもその時々で心持ちが違います。
雑念を払って墓前に手を合わせるとき、人は知らず知らずのうちに
今現在の自分を見えない鏡に映しているのではないでしょうか。
墓参りは、生きている自分たちのためのものだと感じます。

汗ばむぐらいの日差しでしたが、それは静かな墓参でした。
母の老いを目の当たりにしつつ、息子の成長を感じ取りました。
今後自分が母や子どもたちにどう接していけばいいのか、
そんなことも改めて考えるきっかけになったように思います。
それを「故人の遺徳」というのであれば、あたしもそこは否定しません。
2009 / 10 / 01 ( Thu ) 13:09:49 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(4) | トップ↑
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コメント
タイトル:

わたしも9月の連休は母と一緒に祖父母の墓参りに行ってきました。
お墓が取手にあるので往復に時間がかかり億劫ではあるのですが、行って墓石掃除してお花を飾ると気持ちがすっきりします。
名前: 晶 #mQop/nM. : 2009/10/05 15:33 :URL [ 編集] | トップ↑
タイトル:雨のこんにちは。

子供の頃の墓参りは車に乗れることが嬉しかった記憶だけ。
墓参りの意味なんて、考えたこともありませんでした。
それが、成長するにつれて、こうも変わってくるものなんですね。

ウチの墓には、親父の他に死産だった姉ちゃんが入ってます。
順番から行くと次はお袋、その次があたしですね。
今回のこともあったので、少しマメに墓参りをします。

>気持ちがすっきり
まったくもって、同感ですよ。
名前: 新三 #brXp5Gdo : 2009/10/05 16:25 :URL [ 編集] | トップ↑
タイトル:

コメントはおひさです。
私はお墓もお葬式も生きているヒトのためにあるものと思っています。
だってそこでなにかを納得するわけじゃないですか。
「ここにハハがいるんだ~」とか。

犬も一緒に入れたいんですけど、墓守がゆるしてくれるでしょうかね~。
名前: momuzou #- : 2009/10/08 20:54 :URL [ 編集] | トップ↑
タイトル:おひさ、おひさま。

momuzouさんもそういう認識なんですね…。
最近のあたしは「魂の純化」みたいなことを考えてます。
魂といっても死者の霊魂ではなくて自分の魂、
濁った部分を斬り捨てていけたらいいんですけどね。

ちなみに、犬はダメだと思います。
名前: 新三 #brXp5Gdo : 2009/10/09 12:45 :URL [ 編集] | トップ↑
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