国民栄誉賞


長嶋と松井のダブル受賞が決定して、たいへん嬉しく思う。
この機に、自分なりの「国民栄誉賞観」を整理しておきたい。

そもそも王が本塁打数の世界新記録を達成したのがきっかけで、
当時の福田赳夫内閣が創設したのが国民栄誉賞だった。
ここでは説明を省くが、ウィキペディアに詳しい。
受賞者を見渡して第一に感じるのは、没後に与えられるケースが多いことだ。
本塁打数や連続出場あるいは勝利数といったようなものは数字が明らかで、
それが新記録だ世界一だとなれば賞を与える基準として客観的で良い。
だが、国民に感動を与えたのなんのとなると、主観の域を出ない気がする。
美空よりも島倉に与えたい、そう思う人がいてもなんら不自然ではない。
だが、まあ、美空ひばりは誰もが納得する受賞であるし、
その受賞を否定したり貶めたりするつもりは毛頭ない。

残念に思うのは、大鵬の受賞だ。
受賞が残念なのではなく、タイミングが残念だというのだ。
大鵬逝去の報は、大鵬世代の私にはとてつもなく大きな衝撃だった。
それと同時に、「これで国民栄誉賞だな。」という直感もあった。
なぜ生前に贈ることができなかったのか?
そんなことを後になってから四の五の言っても埒があかないのだが、
大鵬には賞を贈る絶好のタイミングがあったと、私は考えている。
それは、千代の富士が受賞したときだ。
千代の富士に賞を贈ると同時に賞に値する力士を探せば、
引退した力士の中から大鵬の名が浮かび上がったに違いないのだ。
優勝回数、連勝記録、それに何と言ってもあの強さと美しさ。
できれば存命中に贈りたかったものだと、今更ながらに思う。

なでしこジャパンと吉田沙保里に関しては、疑問もなくはない。
だが、受賞を否定するような下衆な真似はしたくない。
民主党だから仕方ない…ぐらいに考えておけばそれでいい。
民主党が与えたもう一人の森繁久彌、これも生前にしてやりたかった。
森光子のときに、自民党が同時に与えればよかった。
タイミングを逸してしまうと、死ぬのを待つことになってしまうのだ。

だから、長嶋は死なないと受賞できないものだと思っていた。
物心ついてから野球が好きでずっと見続けているが、
長嶋ほどの華を持つ選手というのは未だかつて見たことがない。
国民栄誉賞を誰にやりたいかという議論になれば、真っ先に名が挙がる。
だが、タイミングをつかみにくい候補という意味でも一番だった。
なればこそ、今回の決定がこれ以上ないほどに嬉しく、ありがたいのだ。
松井は、はっきり言って、ダシである。
イチローは固辞しているらしいが、まず野茂にやるべきだと思う。
野茂以前にもメジャー挑戦者がなかったわけではないが、
彼の開拓精神があったからこそ現在の日本人メジャーリーガーがある。
その野茂を飛び越えて松井が受賞する理由はただひとつ、
なんとか言い訳を作ってでも存命中の長嶋に与えるためである。
今の自民党には、なかなかの知恵者がいるのだと感じた。
師弟関係というのも、どこか日本人のDNAをくすぐるではないか。

今回の受賞、実は上毛新聞がスクープしたという事実がある。
そういうことになるらしいと我々が知る前日のことである。
群馬選挙区選出の参議院議員に嫌疑がかけられているとかいないとかだが、
群馬といえば中曽根康弘のお膝元であることを思い出さねばならない。
そして中曽根康弘と渡邉恒雄の関係を考えれば、全てが腑に落ちる。
これ以上のことは、私がここで書いても仕方があるまい。

そうではあっても、私は素直に喜びたいと思っているのだ。
根っからのジャイアンツファンだから言っているのではない。
長嶋が生きているうちに国民栄誉賞を贈れることが、単純に嬉しいのだ。
長嶋の引退式、高校生だった私はテレビの前で号泣した。
そういう喪失感というものを、生まれて初めて体験した日だった。
王が引退するときは、別段何とも思わなかった。
ジャイアント馬場が死んだ時も、どうということはなかった。
津田恒実の死に方は壮絶で悲しかったが、病気だし仕方ないと割り切った。
大場政夫や玉の海なども衝撃ではあったが、号泣ということはなかった。
喪失感ということで言えば志ん朝と談志であり、勘三郎と團十郎である。
勘三郎のときは少しセンチメンタルになったものか、涙が出た。
だが、長嶋茂雄は、ケタが違う。
長嶋が死んだら、私はまた引退式のように号泣するに違いない。

長嶋の受賞が決まって、あとは誰だろうと考えてみる。
野球なら前述のイチローと野茂、相撲界には目下該当者がいない。
志ん朝と談志は賞に値したと思うが、今となってはその論も虚しい。
歌舞伎も、国民栄誉賞となるとどうだろうか。
いろいろな分野に目を向けてみても、この人!という決定打はない。
長嶋の受賞で、どこかホッとしてしまったのかもしれない。

国民栄誉賞が、国民の発意で授与されるようになればいいと思う。
世論が政治に影響を与えるように、国民の純粋な気持ちが集まって
誰かに賞を贈呈するような図式ができ上がれば素敵だと思う。
それが日本という国の中だけである必要もないと、私は考えている。
例えばスティーブ・ジョブズに、例えばチャーリー・チャップリンに、
日本人が国民の総意として何らかの感謝を捧げてもいいではないか。
グローバリゼーションを謳うなら、それぐらいの柔軟性があってもいい。

5月5日の授与式が、今から楽しみである。
もしかすると、もしかすると、私は泣いてしまうかもしれない。
2013 / 04 / 17 ( Wed ) 11:10:54 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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