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大変長らくお世話になりました。


タイトルのような書き出しの紙が、店のシャッターに貼られる。
何十年やってきたとか、ご愛顧感謝いたしますとか、そう書かれている。
そうすると、「え、閉店かよ!?」と慌てた客が殺到する。
当然、店はにわかに活気づいて、どうかすると行列ができたりもする。
だが、それは一瞬のこと。
通夜・告別式の参会者は、一週間もすれば死者を意識しなくなる。
いつまでもそれを引きずるのは身内だけ、そう決まっている。

一昔前にウチが贔屓にしていた肉屋が、まさにそうだった。
諸事情あって閉店を決めたものの、一時的に客が増えたものだから、
よせばいいのに閉店を先延ばしして商売を続けた。
親父は「これなら閉めないですむかも…。」と夢を見たが、
来る時が来たら、案の定、客はパッタリとなくなってしまった。
「あの時にやめておいた方がよかったよ。」と親父は呟いた。

ラーメン屋の閉店なども、似たような傾向にあるようだ。
閉店の報を聞いて駆けつける客は、何を望んでいるのだろう。
最後にもう一杯食べておいきたいという気持ちなのか、
自分がその店に刻んだ何かを確かめたいとでも思うのか。

やめると言うならやめさせてやれよ。

やめたいと言うヤツは放っておくのが一番だ。

私は常々そう考えているので、駆け込むような真似はしたことがない。
強がりでも負け惜しみでもなく、そういう行為が性に合わないだけのことだ。

だから「笑っていいとも」が放送終了になると知っても、

あ、そ。

これで終わりである。

タモリに対しては凄いことをやり続けたという尊敬も抱くし、
番組に対しては日本のTV文化を大きく変えたことを評価している。
だが、終わるというなら終わればいいではないか。

人が死んだあと、「生前には大変お世話になったので…」などと言うやつがいる。
そういう手合に限って故人とはさほど密でなかった、そんなことが往々にしてある。
肉屋の閉店を惜しむ前に、毎日肉を買って食えばよかったではないか。
ラーメン屋の閉店を惜しむなら、毎日そこで食えばよかったではないか。
だが、魚も野菜も食うなら、毎日肉ばかりという訳にはいくまい。
ラーメンだって同じ店だけで食うのではなく、他の店にも行くだろう。
人間誰しも、「同じことばかりをし続ける」ことはできないのだ。

最後は、最期は、笑顔で、拍手で、そして、少しだけ賑やかなのがいい。
2013 / 11 / 02 ( Sat ) 08:05:10 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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