めとき~長編ドキュメンタリー


「めとき」という名は、ご主人のお名前だそうだ。
漢字で書くと「目時」、看板には「目時商店」と記されている。

めとき 外観

永福町の大勝軒の系列らしいとか、いつも行列ができているそうだとか、
自分にとってはマイナス要素でしかない情報ばかりが勝手に飛び込んで来る。
それでも行ってみようと思い立ったのは、ちょっとした事情があったからだ。

カウンター7席をご主人一人で切り盛りしているので、行列は自然発生。
ラーメンの量が多いので食べるのに時間がかかることも行列の原因になる。
それでも皆、「ここはそういう店なんだよ」という顔で行列を作っている。
煮干しの強烈な匂いを嗅ぎつつ15分ほど並んで入店したら、奥から二番目だった。
メニューは中華麺890円と小盛中華麺840円、わずか二種類のみ。
量が多いとはいえ、ラーメンの値段としては高い。
カウンターを見渡すと、どの客も目の前の小皿の下に千円札を置いている。
そしてその小皿の中には、百円玉と十円玉が一枚ずつ入れられている。
これがこの店の支払いシステムということか。
黙っていれば890円の丼、小盛希望の場合だけその旨を告げるルールのようだ。

と、目の前の食器洗浄機が異常な音を立て始めた。
洗浄機のフタを開けて中を確認するご主人、首をひねっている。
もう一度フタを閉めて回すが、異常な音はやまない。
フタを開けて中の丼を、グラスを、レンゲを、全部出す。
それらを再度整然と入れ直して、またフタを閉めて回す。
ガチンガチンと何かが引っかかっているような音は、続いている。

「あれ、困ったな…。」
 「まだ何か引っかかってるんじゃないですか?」
「この機械はね、石川島播磨の機械なんだよ。」
 「ああ、外側にそう書いてありますね。」
「船を造る会社だからね、古いけど丈夫なんだ。」
 「それが故障となると、困りますね。」
「さて、どうしたもんかな…。」

ご主人は、もはや食器洗浄機にかかりきりになっている。
一人、二人と、食事を終えた人から店を出ていく。
並んでいた人が、順番に店に入ってくる。
カウンターには私も含めて新規の客が7人勢揃いし、
それぞれの目前には前の客の丼と千円札が置かれている。
ご主人はもう一度食器洗浄機の中身を取り出して、
今度は放水のアームも取り外しているような様子だ。
何かちょこちょこっといじって、部品を元に戻す。
丼やら何やらを洗浄機の中に並べ直す。
フタをする。
洗浄機が動き出す。

異常な音が立たない!

「ああ、よかったぁ…。」
 「よかったですね、無事に動いて。」
「ああ、ほんとによかった…。」
 「これで、動かなくなったらどうするんですか?」
「そしたらね、もう、今日は閉めちゃうの。」
 「あ、洗浄機が動かなければ営業できないと?」
「そう、もうそこで終わり。」
 「このスペースで、お一人でやってらっしゃるんですものね。」
「よかった、動いて。」
 「はい。」
「さ、こういう時はまず気持ちを落ち着けるところからだ。」
 「私が言うのも変ですけど、ゆっくりやりましょう。」
「そう、落ち着かないと、おかしくなっちゃうから。」
 「はい、あらためて仕切り直しですね。」
「ゆっくりと、ゆっくりとね。」
 「今開店したようなお気持ちで。」
「ああ、よかった。」

噛み合っているような、そうでないような会話である。
これがお互いに初対面での会話である。

氷屋の氷をアイスピックで砕いてグラスに入れ、水を注ぐ。
それを順に窓枠に並べ、少し時間が経ってから客に出す。
茹で鍋に麺を入れる。
チャーシューを切る。
丼を4つ並べ、そこへタレを入れる。
ラードを入れる。
刻んだネギを入れる。
何度も注ぎ足して結構な量になるまで、スープを張る。
麺を上げる。
4つの丼に、均等になるように入れていく。
茹で鍋に網杓子を入れると、魔法のように次々と麺が上がる。
掬っては入れ掬っては入れ、麺はスープの表面から盛り上がる。
チャーシューを乗せる。
メンマを乗せる。
海苔を乗せる。
ナルトを乗せる。
レンゲを添える。
完成した丼を客に供する。

めとき 中華麺

客がラーメンをすすり始めると、ご主人は次のロットに取りかかる。
洗浄機のアクシデントがあったからか、麺は茹で過ぎだった。
外にはあれほど匂っていた煮干しが、食べると意外なほど匂わない。
むしろ、スープは薄いとさえ感じるような味と香りなのだ。
麺やチャーシューの保温のためにスープがあるのだろうか。
ラードが入っているのに、脂っこくもない。
食べ進む。
チャーシューが旨い。
メンマも旨い。
スープの旨味がじわじわと分かるようになってくる。
何とバランスのいいラーメンであることか。
本家である永福町の大勝軒は、その「バランス」がいけない。

【ラーメンはバランスを食うもの、つけ麺は麺を味わうもの】

再三再四書いてきたこの私の信条が、頭をもたげてくる。
このチャーシューでチャーシュー麺を食ってみたいな、とか、
この人だったらどういうワンタン麺を作るのかな、などと妄想する。
妄想しながら、ラーメンを食べ進む。
スープを飲む。
具をつまむ。
麺を食べる。
メンマにまぶされているひき肉が落ちたスープを飲み干す。

煮干しが利いたタイプのラーメンは、好みではないのだ。
永福町の大勝軒のラーメンは、好みではないのだ。
ラーメンごときに行列をするのは、好みではないのだ。
だが、この店のラーメンは、食って旨いと感じた。
煮干し系のラーメンを旨いと思ったのは、おそらく初めてのことだ。
旨いものを不味いとは言えないし、好みでないとも言えない。
めとき、おやじ、やるじゃないか。

以前は、もっとメニューがあったとも聞く。
それが段々と手が回らなくなってきて、今の形態になったとか。
食通気取りの芸能人が取材拒否の店を紹介するというバカ企画のせいで、
一時は休業に追い込まれたというような話も聞いた。
再開したときには、常連が涙を流さんばかりに喜んだのだそうだ。
さもありなん。
最近では「すき家」の「ワンオペ」がちょっとした話題になっているが、
そういう言い方をするのならここ「めとき」もワンオペに違いない。
ただ、ワンマンオペレーションはワンマンオペレーションだが、
ここは「ワンウェイオペレーション」という認識が妥当かもしれない。
ワンウェイといっても、一方通行なのではない。
ただ一通り、唯一無二のオペレーションという意味である。

冒頭に書いた「ちょっとした事情」に触れておく。
グルメサイトのレビューを読んだときに、気になることがあったのだ。
複数のレビューで同様のことが書かれていたので、余計に気になった。
それは、ご主人が高齢であることを心配し、店の先行きを案じるものだ。
曰く、「こういういい店は絶対になくしてはならない」だの、
「いつまでも元気で頑張ってほしいものである」だのというご託宣。

バカを言うな。

後継者がいなければ、いずれ店は閉められるに決まっている。
いつまでも…と願ったところで、人間の体力には限界がある。
無責任な感傷から生まれるものなど、何もないではないか。
店を失いたくないのなら、自分が後継者になればよかろう。
それができないのなら、目の前にある現実と向き合うしかない。

インスパイア系、ラーメンの業界にはそんな言葉がある。
大勝軒・二郎・青葉などを源とするインスパイア系も、既に独立したジャンルだ。
志ある者がいれば、「めときインスパイア系」が生まれないとも限らない。
そうでなければ、「めとき」はいずれその寿命を終えることになる。
いや、世の多くの商売は、そうやって生まれては消えていくものなのだ。
何代にも渡って続いているような店が偉いのは、「続いている」からだ。
「継続は力なり」というが、継続は力であるばかりではない。
長く続けば、それが価値になり、文化になっていくという性質を帯びている。
「めとき」がそうなるかならないか、それは誰にも分からない。
たぶん「ならない」クチだと、誰もが思っているだろうけれど。

めとき 暖簾

暖簾の汚れが、店と、客の歴史を物語っている。

訪問から一週間が過ぎた今、私は、もう一度「めとき」に行きたいと思っている。
次は、余分なことを一切考えずに、無心でラーメンを食べたい。
できれば、食器洗浄機のトラブルなどが起きないとありがたい。
2014 / 04 / 24 ( Thu ) 09:22:10 | ラーメン | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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