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夏は来ぬ


文部省唱歌の中に、好きな曲が多い。
「花」→「朧月夜」→「鯉のぼり」と、季節は移ろってきた。

春のうららのすみだ川 上り下りの舟人が

菜の花畑に入り日薄れ 見渡す山の端霞深し

甍の波と雲の波 重なる波の中空を


季節感に満ち音律の整った歌詞に美しい旋律、
いつでも口をついて出てくるのが名曲の名曲たる所以だ。
歌詞を精査するとけっして平易な内容ではないのだが、
これぐらいの言葉は使えて当たり前だと言わんばかり。
良くも悪くも、制定当時の教育のあり方がうかがわれる。

こどもの日が、ゴールデンウィークが終わって、夏が来る。
昨日は肌寒いような陽気だったが、今日は十分に暖かい。
カツオは不漁だというが、夏が近いことは間違いない。

この季節の唱歌はというと、「夏は来ぬ」にとどめを刺す。
「来ぬ」の「ぬ」は完了の助動詞だから、「夏は来ぬ」は
「夏がもう来てしまっている」ことを表していることになる。
今の暦で5月7日を「夏」とは断じ難いが、旧暦なら齟齬はない。
歌詞を、コピペしてみる。


1 卯の花の 匂う垣根に
  時鳥 早も来鳴きて
  忍び音もらす 夏は来ぬ

2 五月雨の 注ぐ山田に
  早乙女が 裳裾濡らして
  玉苗植うる 夏は来ぬ

3 橘の 薫る軒端の
  窓近く 蛍飛び交い
  おこたり諌むる 夏は来ぬ

4 楝散る 川辺の宿の
  門遠く 水鶏声して
  夕月すずしき 夏は来ぬ

5 五月闇 蛍飛び交い
  水鶏鳴き 卯の花咲きて
  早苗植えわたす 夏は来ぬ


作詞は佐佐木信綱、歌人である佐佐木幸綱の祖父である。
信綱の名を知らぬ人でも、次の短歌は知っていよう。

行く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲

歌人だけあって歌詞は端正な七五調にまとめられており、
5・7 5・7 7・5(部分的に8・5)という構成になっている。
古歌や中国の故事を踏まえた機知に富む内容であるにもかかわらず、
日本のどこででも見られそうな情景をまとめた歌詞は瑞々しい。
叙景の極致といっても差し支えないほどの見事な描写で、
四季の表情が豊かな日本に生まれ育ったことの喜びさえ感じる。
これが、言葉の力というものなのだ。

「さみだれ」は「五月雨」と書くが、今の五月の雨ではない。
これも旧暦の五月、すなわち今で言う「梅雨」を指す言葉だ。
五月闇というのは、梅雨時分の夜の深さを表す言葉である。
余談だが、五月晴れという言葉も旧暦と関係があって、
五月雨=梅雨の合間の晴れた日をそう呼んでいたものなのだ。
現代では、五月の、気持よく晴れ上がった日を指して使う。
それがいけないとは言わないが、新旧の違いは意識しておいた方がいい。

さて薬師寺の東塔を詠んだ歌と同様に、「夏は来ぬ」も実に清々しい。
秋と初夏の違いこそあれ、そこには吸い込まれそうな青空を感じる。
植物に、動物に、天体に、人間に、私達は季節を見出している。
それと気づかない人でも、意識のどこかでそれを察している。
それこそが、日本人の遺伝子とでもいうべきものなのである。
この曲が嫌いだという御仁があれば、ぜひお目にかかりたい。

「夏は来ぬ」、素晴らしい歌唱を発見した。
歌詞の第四聯が略されているのは残念だが、それでも素晴らしい。



この曲の季節が過ぎたら、次の唱歌は「われは海の子」である。
2014 / 05 / 07 ( Wed ) 20:02:23 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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