まな板の上の水


昔の、木のまな板を想像していただきたい。
あれがカンカンに乾いた状態で魚を乗せたらどうなるか。

 生臭さが取れなくなる

じゃあどうすりゃいいかってえと、まな板を濡らしておくのね。
水を掛けるなり水に浸すなりして、水分を吸わせておくの。
その水分をよく切って、さらに布巾で丹念に拭き取るのが肝心。
こうして準備をしておけば、使った時に臭いが移っても安心。
使用後に水洗いすれば、臭いはちゃんと抜けてくれる。
布巾はこまめに洗う、これはもう常識中の常識。
今となっては木のまな板の方が珍しくなっちゃってさ。
家庭はおろか、料理屋でもプラのまな板を使ってるわ。
ほんと言うと、木のまな板のほうが包丁に優しいんだよね。
プラのまな板を使うと、包丁がすぐに切れなくなっちまうんだ。
プラしか使ったことのない人が木を使ったら、どうするんだろう。
予め水を与えておくなんてこと、しないよね。

落し蓋も、全く同じ理屈なんだ。
料理番組なんか観てると、「落し蓋は濡らして使いましょう。」って。
それ自体は間違っちゃいないんだけど、まな板と一緒だからね。
使う直前にちょろっと濡らしたって、そんなんじゃ間に合わない。
最低でも10分ぐらいは水に浮かべておかないとダメだ。
一度何かの臭いがついちゃったら、まず取れないと思った方がいい。
内緒の話だけど、我が家にも油揚げの臭いのついた落し蓋が一枚ある。
こうなったら、これはもう油揚げを煮る時専用ってことになるわけよ。
知らなきゃ仕方ないけど、知っておいて損はないと思うわ。

次は目先を変えて、盛り付けの話をしてみたい。
2018 / 04 / 30 ( Mon ) 23:30:49 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
面白いことがあったので、番外編


必要なものがあったので、今朝早くから築地に買い出しに行った。
買い物を済ませての帰り道、妻物屋がせっせと作業をしている。
足を止めてちょっと身をかがめると、向こうから話しかけてきた。
「ウチ、日当たりがいいだろ。
軟らかくなっちゃってさあ。」
見ると、ミディトマトを選別している最中だった。
なるほど、熟れ過ぎたトマトは売り物にならない。
 「そうか、手伝ってやろうか?」
「いや、もうこれで終わりだから。」
トマトは、段ボールと発泡ケースに二分されている。
段ボールは立派に売れる方、発泡は廃棄候補である。
「そんなに高い訳じゃないんだけどね。
ウチ、日当たりがいいからさあ。
一つ味見してみなよ、ほら。」
こんな会話は初めて交わした妻屋なのだが、
せっかくなので遠慮せずに好意に甘えてみた。
見た目通りの、濃く甘いみずみずしさがたっぷり詰まったトマトだ。
選別で廃棄候補になった一群を指して、こう尋ねてみた。
 「こっちは、どうすんだい?」
特別な意味もなく聞いただけだったのだが、答えが返ってきた。
「持ってく?」
 「いくらで?」
「全部で300円、どう?
税金もいらねえや。」
 「よし、貰っていこう。」
商談成立の瞬間である。
もっとも買う気で聞いた訳でもないのだから、
正しく言えば、向こうの売り込み成功というところか。
だが、こちらはこちらで、いい買い物をしたと思った。
WIN・WINとでも言っておくとしようか。

トマトの全容 
 
帰宅して計量するとちょうど1キロ、個数で50あった。

手のひらサイズ 

平均すれば1個が20g、値段はわずか6円だから大儲けだろう。

選別 

トマトはナス科の植物だから好物、可愛いものである。

バットとザルと 

手前のバットには破裂寸前のものを選り出して集めてみた。
奥のザルには、いくらかでも日持ちのしそうな粒を乗せてある。
よく熟しているので、食べると皮だけ剥けて口に残るのがいい。
翌朝、トマトの皮と個室でご対面するのは気恥ずかしい。
こうして我が家は、突如として「トマト食べ放題ハウス」になった。

豊洲への移転で揺らぐ築地だが、行けばまだまだ築地だ。
潮の香り、魚の匂い、ターレットの音、行き交う人の熱気、
築地には臨場感を五感総動員で味わう醍醐味がある。
この季節だと朝6時の東京はどこかまだひんやりしていて、
その温度さえも私を築地へと駆る要素の一つになっている。
2018 / 04 / 21 ( Sat ) 17:08:05 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
魚の「水洗い」


例えば、アジを下ろすとしようか。
まずは魚を「水で洗って」、布巾やペーパーで拭く。
ゼイゴを取って頭を落として、腹を開くでしょ。
で、ハラワタをかき出すよね。
そしたら腹の中を「水で洗って」、またよく拭く。
これで、「水洗い」は終わり。
魚を「水洗い」するというのは主に二回目を指して、
一回目の作業を指すことはまずないわね。
ハラワタを出した後には、特に背骨の周囲に
血が大量に残っているようなことが多いんだ。
アジのような小魚でもそこそこの量があるし、
大きな魚だと流れるほどの量になることもある。
ワタの残りや血が身に付着したままだと、これは悲惨。
生臭くて、とても使い物にならなくなっちゃう。
だからここでは、どうしても「水洗い」が必要になる。
ところが、一旦「水洗い」を終えたらもはや水分は厳禁。
水にまみれていると身がどんどん緩んで、味も抜ける。
必要だけれど不必要、それが水分なんだ。
俺たちが味を感じることができるのも、水分あればこそ。
水分が全くないと、舌に乗せても味を感じない。
味蕾が味を感知する仕組みは、そうなってるみたい。

魚に塩をするのは、味付けの意味だけではないんだ。
浸透圧を利用して、余分な水分を抜く意味合いが大きい。
〆鯖なんかはそのいい例で、塩で魚の生臭さを抜いてる。
そうしないと、酢も入っていかないんだよ。
焼き魚なら、塩をすることで身の水分を強制的に抜く。
味をつけると同時に、保有水分量の微調整もしているんだ。
だからといって、完全に抜き切ったらそれはもう干物。
焼き上がりが最高になるような塩が求められるようでいて、
実は脱水が求められていると言ってもいい。

次回は、まな板の上の水。

2018 / 04 / 12 ( Thu ) 09:19:30 | 日記 | TrackBack(0) | Comment(0) | トップ↑
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